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村田兆治の現在の球速は?現役時代の成績•年俸•伝説【始球式動画】

   

村田兆治 現在 画像

今なお始球式などで投げる姿は現役時代と変わらない野球界の生ける伝説・村田兆治さん。独特の投球フォームはイチロー選手の一本足打法や野茂英雄選手のトルネード投法のように子どもたちの憧れでした。

 

今はどれだけの球速で投げることができるのでしょうか?

 

彼が現役時代に残した数々の伝説とともに引退した今でも投球にこだわり続ける理由を探ってみたいと思います!

村田兆治さんのWikipedia風プロフィール

【名前】むらた ちょうじ
【生年月日】1949年11月27日
【出身地】広島県豊田郡本郷町 現:三原市
【身長】181cm
【体重】78kg
【血液型】
【出身校】福山電波工業高等学校
【投球・打席】右投右打
【ポジション】投手
【プロ入り】1967年 ドラフト1位
【所属】
東京オリオンズ
ロッテオリオンズ

村田兆治 成績 画像

1968年から1990年までの通算成績は604試合、防御率3.24、215勝177敗33Sを記録。

  • 最多勝:1回 (1981年)
  • 最優秀防御率:3回 (1975年、1976年、1989年)
  • 最多セーブ投手:1回 (1975年)
  • 最多奪三振(当時連盟表彰なし):4回 (1976年、1977年、1979年、1981年)

41歳、投手兼コーチとして迎えた最後のシーズンの年俸は自身の現役生活でも最高額となる7400万円でした。

マサカリ投法・村田兆治〜超人伝説〜

村田兆治 現役時代 画像

【キャッチャーのサインを無視!いまだ日本記録の暴投数】

現役時代は数々のタイトルを獲得した村田兆治さんですが「通算暴投記録148」という球界記録を持っています。投手にとって暴投は決して褒められるものではありませんが自身は誇りに思っていると言います。

 

なぜなら代名詞とも言えるフォークボールの落差があまりにも凄すぎてキャッチャーが取りこぼすからです。ボールを投げたところから打者に届くまでに30cm以上の落差がありました。

 

さらに、村田兆治さんは自らで配球を考えたいからとキャッチャーのサインを無視して投げ続けた結果、「もう村田にサインを出しても意味がない。好きにさせよう」となった異例の投手。

 

自分自身の投球に絶対なる自信を持っていただけでなく、キャッチャーや球団からも信頼されていたんでしょうね。

【フォークボール習得にかけた執念】

村田兆治さんはキャッチャーですら取りこぼすフォークと豪腕から投げ出される150キロのストレートを組み合わせ投球で三振の山を築き上げました。

 

けれど入団当時のフォークは試合はおろか、練習ですら使い物にならないほどコントロールが悪かったと言います。

 

そこで、当時フォークの名手だった村山実選手にアドバイスを求めると「24時間握り続ける」と言われ、それを実践。就寝中も指の間にボールを挟んで寝たところ激痛で寝れなかったと言います(笑)

 

無茶苦茶に思える練習法?ですが、村田兆治さんはもっと無茶な方法を使います。

 

それは……フォークは人差し指と中指の間にボールを挟んで投げるため、より深くボールを挟めるようにナイフで指と指の間に切れ込みを入れたそうです(笑)

 

それだけの執念があったからこそ打者を目の前にして鬼気迫る投球ができたんでしょうね。

【独特の投球フォームに隠された秘密】

「村田兆治に投げられると打てない!」

 

そう考えた他球団の監督、コーチは「何か弱点はないか?」と探り始めると投球フォームに”重大な欠点”を見つけました。

 

村田兆治さんは「マサカリ投法」と呼ばれた唯一無二の投球フォーム。左足を大きく振り上げ、右足にもたれかかるように投げます。

 

この投げるまでの”溜め”が150キロの豪速球を生み出すんですが、投げるまでに時間がかかりストレートかフォークか三塁側の敵コーチから丸見え。それを口笛やサインで合図をされて狙い打ちされたんです。

 

「さて、どうしたものか?」

 

村田兆治さんは投げる寸前にストレートからフォークに、フォークからストレートへと握りを自由自在に変える投法を編み出しました。

 

すると、まさに後出しジャンケンのように敵コーチが口笛でストレートの合図を出したらフォークを投げ、見事に相手のサイン作戦を攻略したんです。

今なお進化し続ける身体!目標は「60歳で140km/h」

村田兆治 マサカリ投法 フォーム 画像

村田兆治さんが現役時代に座右の銘にしていたのは「人生先発完投」。つまり先発で出場した限りは最後まで投げ続けるという強い意志でした。

 

彼が引退したのは1990年。41歳のシーズンでした。当時、少ない投球数なら140キロ台後半も可能でしたが「先発を全うできない」と引退を決意しました。

 

引退後は「60歳を超えても140キロを投げる」を目標に掲げて、トレーニングは欠かしたことがありません。

 

そのトレーニング内容はウェイトトレーニングのほか、腕立て500回、腹筋1000回、背筋1000回。まるで野球漫画「巨人の星」のような根性、根性、根性のメニュー(笑)

52歳 138km/h 62歳 124km/h
53歳 140km/h 63歳 135km/h
55歳 141km/h 64歳 132km/h
60歳 135km/h

 

62歳のときにガクッと球速が落ちて「さすがの村田兆治ももうダメか」と思われていましたが、63歳のときには再び135キロの直球を披露して”レジェンド・村田兆治”が健在であることを示しました。

異次元の投球!63歳で投げる球じゃない!

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