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葛西紀明は子供に夢与えるレジェンド!海外も絶賛する3つの強さと技!

   

葛西紀明 画像

40歳を過ぎた今もなお現役として競技を続けるスキージャンプの葛西紀明選手。年を追うごとに成績が伸びてくるのはレジェンド(=伝説)というよりもゴッド(=神)!

 

バスケットボールの神様が乗り移ったのがマイケル・ジョーダンと比喩されることがありますが、もしスキージャンプの神が宿るなら葛西紀明さんしかいないでしょう!

 

そんな葛西紀明選手の驚くべき肉体の秘密に迫るために

『スキージャンプを始めたきっかけは?』

『レジェンドと呼ばれるまでの過去の成績』

『葛西紀明さんを支える3つの強さ』

などの話題をまとめてみました!

葛西紀明さんのWikipedia風プロフィール

【愛称】NORI、カミカゼ、レジェンド
【生年月日】1972年6月6日
【出身地】北海道上川郡下川町
【身長】177cm
【体重】60kg
【出身校】
・東海大四高校
【所属】
・地崎工業→マイカル→土屋ホーム

スキージャンプを始めたきっかけは?

長い競技人生の幕開けは小学校の三年生のときスキージャンプをやっていた友だちに『ジャンプを跳んでみたら?』と誘われたのがきっかけです。

 

葛西選手は負けず嫌いな性格から友だちよりも『絶対跳んでやる』と跳んでみたらアッサリと友だちの記録を抜いてしまいました。

 

するとジャンプ団のコーチが家にやって来て本格的にスキージャンプをやらないかと誘われました。

《家の事情で1度はスキージャンプを諦める》

スキージャンプという競技はスキーの板やウェアなど年間かなり高額な費用がかかります。葛西選手の家は裕福でもなく、なおかつ難病を抱える妹さんの治療費などスキージャンプをする余裕はとてもありませんでした。

 

でも、
スキージャンプの魅力に取り憑かれてしまった葛西少年はお母さんの目を盗んでは人のジャンプを見に行ったり、ジャンプを跳んでみたりとジャンプに対する思いは膨らむばかり!

《転機となる最初の金メダル》

どうしても諦めきれなかった葛西選手は内緒で町の市民大会に出場したところ、なんと優勝してしまいました!!

そのとき金メダルを手に家に帰り、どうしてもスキージャンプがやりたいとお母さんに泣いて頼み、やっと許してくれました。

レジェンドと呼ばれるまでの過去の成績

葛西紀明 ソチオリンピック 画像

スキージャンプを始めた葛西選手は

『いつかオリンピックで金メダルを取って家を建ててあげる』

とお母さんと約束し心に誓ったそうです。

  • 中学3年生の宮様大会テストジャンパーで、優勝者の記録を上回り話題になる。
  • 1988-1989シーズン スキージャパンワールドカップに16歳6カ月の史上最年少で出場。1989年ノルディックスキー世界選手権に16歳8カ月では日本人男子史上最年少出場となる。
  • 1989-1990シーズン 当時高校2年生でワールドカップに本格参戦。アメリカで行われたレークプラシッド大会で初の一ケタ順位の9位になる。
  • 1991-1992シーズン スキーフライング選手権で19歳9カ月で金メダル。ワールドカップ日本人最年少記録と日本人初メダルという快挙。
  • 2003-2004シーズン ワールドカップパークシティ大会(アメリカ)で31歳7カ月の最年長優勝記録(2009年に岡部孝信選手に更新されるまで)を樹立。
  • 2013-2014シーズン ワールドカップ・ティティぜーノイシュタット大会でW杯史上最年長の41歳6カ月9日での表彰台。さらにバートミッテルンドルフ大会で優勝し史上最年長記録の41歳7カ月5日での優勝。札幌大会では史上最年長表彰台記録を41歳7カ月19日とあっさり更新。
  • ソチオリンピックでは7度目のオリンピックにして初のメダルとなる銀メダル。日本ジャンプとしては長野以来の16年ぶり。41歳254日でのメダルは冬季オリンピックでは日本人最年長で冬季オリンピックに限定すると1948年のサンモリッツ大会の36歳168日を大きく更新する66年ぶりの世界最年長記録更新。
  • 2014年4月計7回の冬季五輪最多出場記録、41歳219日で達成したW杯最年長優勝記録、41歳256日での冬季五輪スキージャンプ最年長メダリスト記録がギネス認定

 

葛西選手が塗り替えてきた過去の成績を見ると、人間の限界がどこまでいけるのか見てみたくなります。
50歳まで跳んでみますかとニカッと笑う葛西選手の笑顔には冗談が交じりつつも自信があるようにも見えます。

海外のトップ選手も絶賛する強さの秘密とは?

葛西紀明 筋肉 画像

僕が葛西紀明さんを知ったのは1998年の長野オリンピックのときでした。小学校5年生のときに授業を中断してまで見た団体の金メダルの感動が忘れられません。

 

それと同時にケガで団体のメンバーに選ばれなくて悔しいと言っていた葛西紀明選手のインタビューを思い出します。

 

まさか今も現役で競技を続けていて、なおかつ世界トップの飛行技術を持っているなんて当時は想像すら出来ません。いったいどこに強さの秘密があるんでしょうか?

生まれ持った身体能力と努力の鬼

40歳を過ぎてもスキージャンプを続けることができるのは毎日のトレーニングはもちろんなんですが、それ以上に葛西選手が生まれ持った筋肉の質にも関係があります。

 

筋肉には瞬間的に力を発揮する速筋と長い間力を発揮し続ける遅筋があります。例をあげるなら陸上の短距離走の選手は筋肉の中の速筋の割合が多く、マラソン選手は遅筋の割合が多くなるようにトレーニングしています。

 

葛西選手は瞬発系のと持久力系の筋肉のどちらにも優れています。
日本代表選手の中で1500m走の記録を測ったところ葛西選手は4分20秒で、2位の選手が4分44秒でした。

長時間練習しても他の選手に比べて疲れないのは筋肉に持久力があるから。

さらに葛西選手の筋肉は衰えを知りません。
41歳の時に測った垂直跳びは71cm。ウォーミングアップもなしに軽く飛んだだけ。また立ち幅跳びは287cmと20歳の頃の記録とほぼ同じ記録というから開いた口がふさがりません(笑)

常に追い求める最高の飛行姿勢

葛西選手は1992年のアルベールオリンピックから2014年のソチオリンピックまで7大会連続で出場しています。

 

スキージャンプの歴史はルール改正と選手の試行錯誤の歴史と言ってもいいかもしれません。そして7大会連続出場している葛西選手の飛行姿勢を年代ごとに見れば日本のスキージャンプの進化が分かると言っても過言ではありません。

 

例えば1998年の長野オリンピックまでは『身長+80cm』の長さまでのスキー板が使用可能でしたが、飛び過ぎるなどの安全面を考えて長野オリンピック以降は『身長の146%』の長さに変更されました。

 

さらに現在では過剰な体重減量を防ぐために体重によってもスキー板の長さが制限されたり、ジャンプスーツもより身体にフィットするようにしてスーツの浮力では飛ばないようなルール改正がおこなわれてきました。

 

ルール改正が繰り返される中で今最も飛べることができる飛行姿勢を研究に研究を重ねたのが葛西選手の強さの一因です。

不屈の精神力

葛西紀明選手の妹さんは1994年のリレハンメル五輪の前年に再生不良性貧血という非常に重い病気にかかってしまいます。辛い治療を受ける妹に金メダルをとって元気づけたいと挑みましたが団体で銀メダルと一歩及びませんでした。

 

 

次のオリンピックでは必ず金メダルをとると決意を固めた矢先の94年の11月に鎖骨を骨折してしまいます。ケガは1995年の5月にやっと完治。

 

ブランクを取り戻そうと夏の練習では300本跳べば十分と言われるところ3倍の900本を跳んで今まで以上に練習に打ち込みました。

 

実は鎖骨を骨折してからスタート台に立つと恐怖を感じるようになり、その恐怖を取り除きたいという気持ちも合わさって異様なほどのジャンプの練習を繰り返したんだと思います。

 

でも、

この練習が災いして95年のシーズン序盤に次は着地した瞬間に足を骨折してしまいます。さらに自宅が事故で火事となりお母さんが全身やけどで、皮膚移植などを繰り返しましたが97年に亡くなってしまいました。

 

入院中のお母さんがかいてくれた手紙には、

いまこの時を頑張れ。

絶対にお前は世界一になれる。

お前がどん底から這い上がってくるのを楽しみに待っているよ。

と書かれていました。今でもこの手紙を試合前に読むと力が湧いてくると言います。

 

インタビューに笑顔で答える葛西紀明選手の裏にはこんな凄まじい苦難を乗り越えた精神力と妹さんとお母さんのためにオリンピックで絶対に金メダルをとるまでは競技を辞めないという強い約束と決意がありました。

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